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「樺太1945年夏 氷雪の門」 [CINEMA]

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  1945年夏、樺太西海岸・真岡町、太平洋戦争は既に終末を迎えようとし、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。しかし、ソ連が日本への進撃を開始。真岡郵便局で働く電話交換嬢たちは、ソ連軍の進攻と、急を告げる人々の緊迫した会話を、胸の張り裂ける思いで聞いていた。
 8月15日終戦後、ソ連軍が樺太に侵攻。8月20日、真岡町の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始し、町は戦場と化した。逃げまどう人々。鳴りやまない電話。彼女らは最後まで職場を離れようとはしなかった。取り残された9人の乙女たち。たった一本残った回線から聞こえてきた最後の言葉は・・・
------以上、映画チラシより------

 あまりにも遅きに失したと云うべきだが、この映画を観てはじめて樺太の史実を知った。そして、あとから調べてみたら、日本では8月15日を終戦の日としているが、世界的には9月2日、東京湾上のミズーリ号で「降伏文書」に日本が調印した日を、第2次世界大戦の終了の日としていることも、今まで考えてもみなっかた。(タイミングよく昨日11日のテレビ朝日の「池上彰そうだったのか学べるニュース」でも扱っていた)
 映画では、戦時下の不自由な生活の中でも、みんなでお汁粉を食べて喜んだり、流行歌のレコードを流して楽しむ電話交換手の乙女たちの姿も描かれる。ソ連の侵攻が始まり、婦女子は内地に引き揚げることが命令されても、自分たちの職務を全うしようとする彼女たち。それだけに「なぜ彼女たちは死を選ばねばならなかったのか」と思うと無念でならない。
 8月15日以降に行われたソ連の侵攻のすさまじさが描かれており、36年前の公開当時、ソ連からの圧力により、公開中止に追い込まれたこの映画。たった1本残っていたフィルムを、新たなデジタル処理により甦らせるのに奮闘した当時の助監督・新城卓氏の「この映画が持つ力で、世論を喚起し、世界の平和を訴えたい」という願いが、一人でも多くの人の心に届きますように。


2010年8月9日
横浜シネマ・ジャック&ベティ


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