SSブログ

「風に立つライオン」 [CINEMA]

「風に立つライオン」観てきました(ネタバレあり)

 さだまさしがこの曲を発表したのは1987年、いつ、どこで僕がはじめて聴いたのかは覚えていないが、荘厳な雰囲気の曲と、物語のような詩に感動したことを覚えている。この歌が伝えるメッセージは多くの人に感動を与え、この歌に触発されて医師を志した人、アフリカにわたり現地で暮らすことを選択した人などが数多くいることは最近知った。「たったひとつの歌曲が、このように沢山の人々の人生に働きかけて少しずつその人生を変えていった例を僕は他に知らない」と、さだまさしは書いている(映画のパンフレットより)。

 映画「風に立つライオン」(三池崇史監督)の主役の医師役を務めた大沢たかおも、「この曲の世界観と歌詞に込められた主人公の思いに共鳴した」一人で、彼の場合は、さだまさしに映画化を前提にした小説化を働きかけ、数年かけてその思いは映画作品として実を結んだ。

 さだまさしが小説化した原作を読んでいないので、ストーリー展開はまったく知らずに観ていたが、100万羽のフラミンゴも、キリマンジャロの雪も出てこないものの、歌詞の世界が見事に映像化されていると思った。大沢たかお演じる医師は、過酷な環境の中でも、しなやかな強さとやさしさを持つ「風に向かって立つライオン」としてこの先ずっと活躍していくものと信じていただけに、最後に彼をおそった悲劇はショッキングだった。映画の最後に流れる主題歌「風に立つライオン」は、これまでに観たどの映画のエンディングテーマや主題歌よりも、重く、深く、心を揺さぶる曲になった。

(3月16日 ららぽーと横浜TOHOシネマズ)


nice!(0) 

『大津波のあとに』『槌音』 [CINEMA]

 渋谷アップリンクXで上映されている映画『大津波のあとに』(監督:森元修一/74分)、『槌音』(監督:大久保愉伊/23分)は、11月19日から1週間の上映予定だったが、連日満員の大盛況で上映期間が12月2日まで1週間延長された。僕が観に行った11月21日(月)も入場できずに帰る人が何人もいた。
 10月下旬神奈川災害ボランティアネットワークのボランティアバスで一緒に岩手に行ってきた仲間たちとTwitterやfacebookを通じて映画を観に行く話が決まり、当日は4人での鑑賞会となった。4人揃って観ることができたのは一人の方が朝のうちに映画館に足を運び整理券をゲットしていてくれたからなのだ。

映画の紹介は『大津波のあとに』『槌音』公式サイト
http://fartheron.soragoto.net/index.htmlより引用させていただきます。
-------------------------------------------------------
2人の映像作家が被災地で撮影した2本の作品には、震災によってもたらされた「3月の衝撃」が封じ込められています。

『槌音』の大久保愉伊監督は故郷の岩手県大槌町が被災し、家族も大きな被害を受けました。東京に持ってきていたことで津波に流されることを免れた震災前の貴重な映像も使い、鎮魂の映像詩を編み上げました。

『大津波のあとに』の森元修一監督は宮城県の仙台、東松島を経由して知人のいる石巻に入り、街とそこに生きる人々の姿を静かな映像の中に刻みつけています。

日本のみならず、世界中に衝撃を与えた東日本大震災。時間の経過による風化・忘却に抗するため、この2本の作品に込められた被災地の記憶、被災者の声をお届けしたいと思います。
-----------------------------------------------------------

 震災直後盛んにテレビで流された津波の俯瞰映像や、ワイドショーレポーターのありきたりのインタビューや、復興に向かって頑張る人の姿はない。震災直後の現場に入って、迷い、とまどいながらも荒れ野と化した風景とそこに居る人を、何の脚色もなく記録した映画である。
 
 

 僕が震災から数ヵ月経って被災地にボランティアとして行ったときは、瓦礫の山がいくつもでき、撤去された跡は更地のようになっていたが、映画で見る震災2週間後の光景にはあらためて衝撃を受ける。自分の目と同じ高さで撮られるカメラの目線が自分で見ているかのように感じるからだろうか。

 今この時点で、あの時の「衝撃」を再び自分の胸に甦らせることは、とても大事なことだと強く思う。

 
 映画終了後には、2人の監督とゲストのトークショーがあり、実際に撮影した生身の本人の話を聞けたのもよかった。また、制作日誌の掲載されたパンフレットも購入、熟読してしまった。映画を観る方にはぜひ一読をお勧めしたい。
 お2人の監督にはそれぞれの視点で、この場所をずっと撮り続けてほしいと思った。
 


「がんばっぺ フラガール! -フクシマに生きる。彼女たちのいま-」 [CINEMA]

がんばっぺフラガール.jpg

 

 2006年に蒼井優、松雪泰子の映画「フラガール」を観て(http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2006-10-02)、2008年にはスパリゾートハワイアンズに行き本物のフラガールのショーを見てきた(http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2008-12-18)。だから、3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けたスパリゾートハワイアンズとそこで働くスタッフやフラガールたちの再生に向かう物語はぜひ見ておきたいと思っていた。

 45年前、炭鉱の閉山で地域が壊滅する危機を、この地に常夏のハワイというリゾート施設をつくるという突飛なアイディアで跳ね返し成功をおさめてきた経緯は前作『フラガール』に詳しく描かれ、多くの人が知っている。日本のエネルギー政策に翻弄されながらも大転換を果たした結果生まれた「楽園」が、今回、地震、津波による被害に加えて、原発事故とその風評被害によりさらに大きな危機に直面している。

 映画は、地震の被害で営業できなくなった本拠地を出て「全国きずなキャラバン」を開始したフラガールを追うとともに、実家が福島第一原発から2キロの距離にあり家族が避難生活を余儀なくされているダンシングチームのサブリーダー大森梨江さんに密着、ステージに立てば笑顔で元気に踊る彼女のプライベートにも迫る。一方、震災当日館内で被災した630名が一人の怪我人もなく無事だったこと、ホテルが震災後半年にわたり広野町の被災者のための避難所として機能していたことも描かれている。自らが被災者でありながら笑顔で全国を回るフラガールたち、火のついた棒を回すため出番がないファイヤーナイフダンサーたち、営業再開のために現場で奮闘するスタッフたち・・・、さまざまな思いや感情が交錯する過程を、過剰な演出を排し淡々としたタッチで、10月1日の部分再開までを描く。クライマックスはもちろん、営業再開されたスパリゾートハワイアンズステージでのフラガールのショー、本当は立ち上がって拍手喝采を送りたかった。でもこれがGOALでないことも誰もが知っている。彼女たちはほんの小さな一歩を踏み出したに過ぎないことを。

 震災から8ヵ月になろうとする今、被災地から離れた場所での関心が薄れてきているという。横浜ではムービル1館でしか上映されていないこのドキュメンタリー映画も、上映4日目にもかかわらず、平日の昼間とはいえ500人以上収容できる劇場に20人にも満たない人数での鑑賞は少しさびしい気がした。

2011年11月1日
横浜ムービル


「ミツバチの羽音と地球の回転」 [CINEMA]

 山口県上関(かみのせき)町田ノ浦に中国電力が上関原発を建設する計画があり、そこから3.5キロ離れた場所に浮かぶ人口500人の祝島(いわいしま)に住む人々を中心とした反対運動が28年間も続いていることを、不覚にもつい最近まで知らなかった。
 それどころか、日本列島にいつの間にか54基もの原発ができていたことを知ったのも、東日本大震災で福島第一原発が未だ収束の見通しのつかない大事故を起こしたからだった。
 安全・安心の名のもとに、首都圏に電気を送るための原子力発電所の建設を受け入れた結果、「想定外」にも故郷を捨てざるを得なくなるかもしれない福島原発周辺の町や村の人々の悲しみと苦しみそして怒りは想像を絶する。
 
 ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」は、千年の歴史をもつ祝島で暮らし生きている普通の人々の上関原発建設に反対する闘いと、スウェーデンの地方都市におけるエネルギーの自立を果たす取り組みを紹介しながら、持続可能なエネルギーのあり方を追求するとともに、観る人それぞれに、これからの生き方を問いかけてくる映画である。
 決して原発反対だけを叫ぶ映画ではない、しかし福島原発の事故の恐怖の中でこの映画を観て心から願うことは、一刻も早い建設中止の決定だ。

 反対運動の中心に立つ一人である山戸孝さんの、次の言葉には胸が詰まった。
 「祝島の人たちは、なんであんなに原発に反対するんだっていう電話があって、自分たちの生活
や暮らしを、まあ、守るためですと、まあ、そのために海を守ったり、原発のことをやってると言ったら、なんか、そんなもんのために、たくさんの人に迷惑をかけて恥ずかしくないんかって言われて。まあ、やっぱり、そういうこと、うーん、島の生活を守るっていうのが、そんなものって言える人たちが、原発作ろうとしているのかなって思うと、悲しいですよね。」(映画パンフレットに採録されたシナリオより)

 2010年に作られたこの映画で描かれる2009年9月の埋め立て開始工事阻止行動は成功するが、その後中国電力側もいろいろな手段を講じて原発建設を推進しようとしている。まさに闘いは現在進行中なのである。

 東日本大震災が起こった3月11日以降のトピックとして以下の記事をリンクしておきます。

上関原発準備工事を一部中断:2011年3月16日中国新聞記事
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103160062.html

上関原発工事の妨害 地裁が「1日70万円」支払い命令:2011年3月30日asahi.com
http://mytown.asahi.com/areanews/yamaguchi/SEB201103290025.html

2011年4月22日
オーディトリウム渋谷

映画のオフィシャルサイト
http://888earth.net/index.html


「ヒア アフター」 [CINEMA]

1008672_01.jpg

*ネタバレあり

 80歳のクリント・イーストウッドが監督した「ヒア アフター」を観た。
 霊的能力を持つもののそれを忌み嫌っている青年ジョージ(マット・デイモン)と、リゾート地で津波に襲われ臨死体験をした女性TVキャスターのマリー(セシル・ドゥ・フランス)、常に行動をともにしていた双子の兄を事故で亡くし、彼と会わせてくれる霊能者を探し歩く少年マーカス。それぞれサンフランシスコ、パリ、ロンドンと違う場所で生活する三者のエピソードが交互に展開していく。
 冒頭の津波の場面の映像が凄い(ちょうど先週起こったニュージーランド地震のことが頭をよぎる人もいるに違いない)。津波に巻き込まれるマリーが死後の世界を垣間見るシーンが、観るものに不安を掻き立てる。ジョージが手を触れた瞬間、相手の身近な死者が見えるところもオカルト的だ。しかし、この映画全体の雰囲気はいたってリアルである。現実の世界に足を置き、教条的にならず作り手の死生観をおしつけるものでもない。1人ひとりのエピソードをもっと掘り下げてほしいという欲張りな要求がないでもないが、やがて3つのストーリーが1つになるころには、それぞれが特異な体験をしたことで抱えていた悩みや孤独が癒され、新しいストーリーの始まりを予感させる後味の良い結末が用意されている。
 「死後の世界は、この世でベストを尽くしたうえでの『続きの世界』」というクリント・イーストウッドの死生観が丁寧に語られた作品だといえるだろう。

2011年3月1日
TOHOシネマズららぽーと横浜


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

「ハーモニー~心をつなぐ歌」 [CINEMA]

ハーモニー.jpg


*ネタバレあり
 
 映画は、韓国の女子刑務所に服役する女囚が、赤ちゃんを出産するシーンから始まる。韓国では生後18ヵ月間だけ、刑務所の中で母子が一緒に暮らすことが許されているという。映画では、一部屋に5人も収監されている雑居房での赤ちゃんを交えた生活が、明るく楽しげに描かれる(実際には養育房というのがあるのだそうですが)。本来なら厳格に管理する立場の女性看守も、彼女らと友達のように交じわっている。「塀の中」の生活がこれほどおおらかだなんて想像を超えていたが、一人ひとりの女囚には、償うことのできない罪を犯しているという事実があり、またそれぞれが心に深い傷を負っている。
 慰問に来た合唱団の歌声に感激して、刑務所内で合唱団を結成することを言い出すのは、子供と暮らすジョンヘ(キム・ユンジン)。音大教授だった死刑囚ムノク(ナ・ムニ)に懇願して指揮者になってもらい、寄せ集め集団でスタートした合唱団は特訓を重ねた結果、刑務所内での発表会を大成功に導くが、それはジョンヘと子供との別れの時でもあった。
 時は過ぎ、その実力を認められるまでに成長した合唱団は、クリスマスイブに行われる合唱コンクールに特別招待されて・・・・
 映画のクライマックスにさしかかるこのあたりからは、涙の”連続攻撃”にさらされ、なすすべないまま迎えるエンディングにとどめを刺された。
 劇中で歌われる「ダニー・ボーイ」、「この世界を生きてみれば」、「ソルヴェイグの歌」など、どれもが美しく心に沁みる。過酷な状況に置かれたものたちが、音楽によって心が開かれ心がつながる、おとぎ話のようなストーリーかもしれないが、「歌の力」に心を揺さぶられない人はいないだろう。
 最後に、この映画は「死刑制度」についての問いかけも発していることを加えておきたい。
 

2011年2月15日
横浜ブルク13


「ソーシャル・ネットワーク」 [CINEMA]

social_network.jpg



*ネタバレあります

 映画「ソーシャル・ネットワーク」は、今や登録者数が全世界で5億人を超えているという、世界最大のソーシャル・ネット・ワーキングサービス(SNS)である「フェイスブック」を創設したマーク・ザッカーバーグと、そのビジネスの成長の裏側を描いた作品である。映画としてとても面白かった!というのが観終わった直後の感想。

「フェイスブック」とは・・・以下、ウィキペディア「Facebook」からの引用(青字部分)
 Facebook(フェイスブック)は、Facebook, Inc.の提供する、世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。元々は、ハッキングし得た女子学生の身分証明写真をインターネット上に公開し、公開した女子学生の顔を比べて勝ち抜き投票させるゲームとして作られた。名前の由来もここにあり当初はフェイスマッシュとして公開されたが問題になり、その後は改良がなされフェイスブックとして公開されることになった。アメリカ合衆国の学生向けに作られ、当初は学生のみに限定していたが、2006年9月26日以降は一般にも開放され、その後急速にユーザー数を増やしていった。

 映画は、ハーバード大学の学生であるマーク・ザッカーバーグと恋人エリカがパーティーで延々と会話をする場面からはじまる。この場で彼女とのコミュニケーションに失敗し振られてしまったマークは、寮に戻り上記のゲームサイトを一晩にして立ち上げたのが、一説には市場価値500億ドルともされる超優良企業をつくりあげるそもそものきっかけとして描かれる。しかし映画はこの一人の天才的ハッカーのサクセスストーリーを描くのではなく、そこから繰り広げられた仲間同士の反目、裏切り、嫉妬などを、訴訟の審理の場面を軸に、それぞれの証言をフラッシュバックで描いていく。テンポの早い会話と、現在・過去が交錯するカットの連続にとまどいながらも、だんだんと引き込まれていった。
 とても面白い映画と書いたものの、どの登場人物にも共感を覚えるものでもないし、カタルシスを得られる作品でもない。有名な俳優を配しているわけでもないこの作品を、一気に見せる作品につくりあげたのは監督(デビッド・フィンチャー)と脚本(アーロン・ソーキン)の力によるところが大きいだろう。
 それにしても、ネットの世界に社交場をつくり友達の輪を広げる礎となったマーク・ザッカーバーグという青年が、リアルな世界では脆い人間関係しか築けなかったというのが何とも皮肉な話ではある。


2011年1月19日
TOHOシネマズららぽーと横浜


「海炭市叙景」(かいたんしじょけい) [CINEMA]

kaitanshijokei.jpg


 映画の中に流れている時間と色合いなどが、以前よく観ていた候孝賢(ホウシャオシェン)監督の台湾映画を思い起こさせる。観終わったあと不思議な余韻の残る映画である。
 
 舞台は日本のどこかの地方都市。海に面し、山に登れば街が一望される、そんな町で普通に暮らす人々の5つのエピソードが描かれるが、それぞれが関わりあっているわけではない。不況の影響を受けて会社から解雇された兄と一緒に暮らす妹、妻の不倫に気がついてしまった男、事業がうまくいかないプロパン屋の2代目社長と、子供と心通わすことのできないその妻、立ち退きを迫られる家に一人で住み続けようとする老婆、父との関係が冷えて正月にも実家に帰ることを拒む息子と路面電車を運転するその父親。それぞれに共通するのは、映画HPのイントロダクションによれば「"幸福な時間"を失ってしまった」ということである。映画の終盤で、それぞれの登場人物が同じ路面電車に乗り合わせたり、電車の前を横切ったりして、ほんの一瞬交わる場面があるのだが、映画的な大団円を迎えるわけでなく、それぞれがその後どのような運命をたどっていくのか、提示されないままエンドロールを迎える。
 
 原作は不遇の小説家といわれた故・佐藤泰志の小説。架空の町である「海炭市」のモデルは彼の故郷である函館をモデルにしている。函館市民が中心になってこの映画を企画し、北海道出身の熊切和嘉監督のもと、冬の函館で撮影された。出演は、加瀬亮、谷村美月、小林薫、竹原ピストル他。中でも、加瀬亮の2代目社長役は、彼の今までにないような役柄で少しびっくりした。
 
 個人的な感想としては、もう少し希望を抱かせる明るい余韻を得たかったというのが本音だが、函館市民の多くの支援を得て完成した、手作りの温もりを感じる映画として記憶に残ることだろう。

2010年12月30日
横浜シネマジャック&ベティ


「ふたたび SWING ME AGAIN」 [CINEMA]

T0009144p.jpg



「人生でやり残したこと、ありませんか?」

 こんなキャッチコピーをポスターに掲げるこの映画は、ハンセン病で長い間施設に隔離され、息子の家族にもその存在を隠されていたお爺ちゃん(財津一郎)が、昔のジャズバンドのメンバーを訪ね歩き、若い時に幻に終わったライブをついに実現するというストーリーです。

 差別と偏見にさらされ続けてきたハンセン病という重いテーマを描きながらも、全体として明るい印象を残すのは、無心に爺ちゃんに向き合う孫(鈴木亮平)や看護師(MINJI)らとの心温まる交流や、かつて夢を諦めた老人たちが音楽でふたたび活力をよみがえらせる過程が正攻法で描かれているからでしょう。藤村俊二、佐川満男、犬塚弘が演じるバンドメンバーの今の顔が輝いています。また友情出演している渡辺貞夫の演奏はJAZZの魅力を十分に伝えてくれます。

2010年12月2日

TOHOシネマズららぽーと横浜

 

 さて、前回のブログで1113日に父が退院したことを書きましたが、その後容態が急変して16日の夜に緊急入院。20日の午前025分に還らぬ人となりました。9月以降2度の入退院を繰り返し、3度目の今回も、しばらく入院したら元気を回復するものと思っていましたが、急速な体力の衰えはどうしようもなく、ふたたび実家の書斎に戻ることはできませんでした。来年3月に90歳を迎えることを楽しみにし、この12月に予定している母の17回忌は何としても自分がやり遂げるんだという強い気持ちを最期まで持ち続けて頑張ってきましたが、いずれも叶わないままでの旅立ちでした。

 11月24、25日に通夜、葬儀を近親者にて執り行い、12月18日の母の17回忌の日には母の眠るお墓に眠らせてあげる予定です。


「マザーウォーター」 [CINEMA]

マザーウォーター.jpg


 ゆったりと水が流れていくように時間が経過していく、京都ならではのまったりとした映画である。忙しい毎日を送っている人にとっては癒しの映画ともいえるかもしれないが、映画を観ている途中に何度か意識を失いそうになったのは、久しぶりに晴れたさわやかな晩秋の昼下がりに1時間かけて「ららぽーと」まで歩いていった疲れだけではなさそうだ。

 京都・賀茂川が近くを流れる町のどこか、水が大事な要素である店を営む3人の女性。ウィスキーしか置いてないバーの小林聡美、ペーパードリップで一杯ずつ丁寧に淹れるコーヒー屋の小泉今日子、その場で食べられるようベンチを置いている豆腐屋の市川実日子。そして、一人暮らしで散歩が趣味のもたいまさこ、銭湯の主人・光石研、銭湯を手伝う青年・永山絢斗、家具工房で働く加瀬亮、この7人に赤ん坊。これらの登場人物が、町を歩き、それぞれの店に通い、ウイスキーやコーヒーを飲み、豆腐を食べ、会話をする、それだけの物語。彼らの過去や背景などは、観ている人の想像に委ねられる。抽象的な会話も多く、映画に物語性を求める方にはお薦めしません。ゆったり流れる時間の中に浸りたい方はどうぞ。
 でも、3人のお店の商売がどうして成り立っているんだろうという疑問は消えないなあ。

2010年11月2日
TOHOシネマズららぽーと横浜


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。