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「悪人」 [CINEMA]

 吉田修一原作の小説を本人自らが脚本に加わり、「フラガール」の李相日監督により映画化された作品。上下巻に分かれる原作の文庫本は昨年暮れに一気に読んだ。読み始めると止められない面白さだった。原作がよかったので、わざわざ映画で観ないでもいいかな、と思っていたが、主演女優の深津絵里がモントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を獲得したという話題や、「笑っていいとも」で妻夫木聡が話す役作りの話を聞いたり、先日見に行った展覧会(「アリエッティ×種田陽平展」@東京都現代美術館)で、この映画の美術監督を務めた種田陽平の美術にも興味が湧き、公開3日目に観に行ってきた。
 
 原作者が脚本を書いているだけに、いくつかのエピソードは省きながらも、映画は小説に忠実に再現されている。それでも2時間余りの映画に納めるには、登場人物の心情を深く掘り下げるのは難しいのだろう。一緒に観た小説を読んでいない家内は、光代(深津絵里)が、出会い系サイトで知り合った祐一(妻夫木聡)になぜすぐに入れ込んでしまうのかという点に、違和感を覚えたようだ。佐賀市郊外の国道沿いの紳士服店で働きながら地味に暮らす光代の鬱屈した心情や、叔父の解体作業の仕事を手伝いながら、育てられた祖父母の家に住み、病弱な祖父ばかりでなく近所の人の病院の送り迎えをこなしている祐一のやさしさなどが、小説では巧みな筆致で描かれていて、小説を読んでいるものにとっては、すんなりと入ってくるのだが、映画では、セリフでのやりとりや、短いカットなどで説明はあるものの、観客に共感を覚えさせるまでには至らないのかもしれない。この部分が理解されないとその後の2人の逃避行も説得力を欠くものになってしまうだろう。
 
 いくつかのエピソードは省きながらとはいうものの、原作の重要部分は映画でも描かれている。樹木希林演ずる祐一の祖母がインチキ商法にだまされるくだりや、娘を殺された理髪店主の柄本明の復讐劇など、それぞれの迫真の演技がこの映画に一層の重みを加えている気がした。もちろん深津絵里、妻夫木聡の熱演なくしてこの映画は成り立たなかっただろう。1996年に公開されたパソコン通信をテーマにした映画「(ハル)」以来注目してきた深津絵里の、この映画での女優賞受賞に拍手を送りたい。
 
 小説を読んでいるときも、映画を観ているときも、「悪人」というタイトルが常に頭の中を駆け巡っていた。いったい誰が本当の「悪人」なのか。でも何よりも、一生懸命に生きる普通の人々が、一つの「悪」をきっかけに、いきなり大きな渦巻きの中に放り込まれ翻弄されていく姿が、哀しくやりきれない。

2010年9月13日
TOHOシネマズららぽーと横浜

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「樺太1945年夏 氷雪の門」 [CINEMA]

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  1945年夏、樺太西海岸・真岡町、太平洋戦争は既に終末を迎えようとし、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。しかし、ソ連が日本への進撃を開始。真岡郵便局で働く電話交換嬢たちは、ソ連軍の進攻と、急を告げる人々の緊迫した会話を、胸の張り裂ける思いで聞いていた。
 8月15日終戦後、ソ連軍が樺太に侵攻。8月20日、真岡町の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始し、町は戦場と化した。逃げまどう人々。鳴りやまない電話。彼女らは最後まで職場を離れようとはしなかった。取り残された9人の乙女たち。たった一本残った回線から聞こえてきた最後の言葉は・・・
------以上、映画チラシより------

 あまりにも遅きに失したと云うべきだが、この映画を観てはじめて樺太の史実を知った。そして、あとから調べてみたら、日本では8月15日を終戦の日としているが、世界的には9月2日、東京湾上のミズーリ号で「降伏文書」に日本が調印した日を、第2次世界大戦の終了の日としていることも、今まで考えてもみなっかた。(タイミングよく昨日11日のテレビ朝日の「池上彰そうだったのか学べるニュース」でも扱っていた)
 映画では、戦時下の不自由な生活の中でも、みんなでお汁粉を食べて喜んだり、流行歌のレコードを流して楽しむ電話交換手の乙女たちの姿も描かれる。ソ連の侵攻が始まり、婦女子は内地に引き揚げることが命令されても、自分たちの職務を全うしようとする彼女たち。それだけに「なぜ彼女たちは死を選ばねばならなかったのか」と思うと無念でならない。
 8月15日以降に行われたソ連の侵攻のすさまじさが描かれており、36年前の公開当時、ソ連からの圧力により、公開中止に追い込まれたこの映画。たった1本残っていたフィルムを、新たなデジタル処理により甦らせるのに奮闘した当時の助監督・新城卓氏の「この映画が持つ力で、世論を喚起し、世界の平和を訴えたい」という願いが、一人でも多くの人の心に届きますように。


2010年8月9日
横浜シネマ・ジャック&ベティ


「借りぐらしのアリエッティ」 [CINEMA]

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 最近の宮崎アニメでは途中で眠くなってしまうこともありましたが、この映画はとても夢のあるファンタジーに仕上がっていて、ワクワクしながら観ていました。最後は、もう終わってしまうのかと思ったくらい、アリエッティ一家のこれからの生活に興味が尽きませんでした。
 
 どんなお話なのかというと・・・今回は監督は若手(米林宏昌)に任せ、企画・脚本を担当した宮崎駿の「企画書」から引用してしまいます。

い家の台所の下にくらす小人の一家。アリエッティは14歳の少女、そして両親。
くらしに必要なものはすべて床の上の人間から借りて来る「借りぐらし」の小人たち。
魔法が使えるわけでもなく、妖精でもない。
・・・・・・・・・・・・
物語は、小人たちのくらしからアリエッティと人間の少年の出会い、交流と別れ。
そして、酷薄な人間のひきおこす嵐をのがれて、小人たちが野に出ていくまでを描く。
混沌として不安な時代を生きる人々へこの作品が慰めと励ましをもたらすことを願って・・・・・。

 なるほど、この映画には色々なことが詰まっているなあ。家族というものの大切さ、人間の目からみたらちっぽけないのちでも生きていくためのけなげな営み、自分にとって異質なものにたいする姿勢、奪い取るのでなく借りて来るという考え方、・・・
 
 夏休みの映画館を埋めた女の子たち(アリエッティよりは年下の子がほとんどだと思うが)は、どんなことを感じたんだろう。まずは家に帰ってから、床下やベランダの植物の葉っぱの陰を覗きこんだんじゃないかな。もしかしたら、目に見えないアリエッティたちと一緒に暮らしているのかも知れない、なんて考えたらワクワクしますよね。

 映画を観終わって、ららぽーと横浜の中をブラブラしていたら、あるお店にさっそく、アリエッティが「借り」に行く時に背負っていたバッグが売られていました。もちろん角砂糖は入っていないと思うけど(笑)


2010年7月29日
TOHOシネマズららぽーと横浜


「クレイジー・ハート」 [CINEMA]


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 第82回アカデミー賞で主演男優賞(ジェフ・ブリッジス)と主題歌賞("The Weary Kind" 作曲:ライアン・ビンガム、作詞:T=ボーン・バーネット)を獲得した作品。撮影期間がたった24日間、低予算で撮られた映画らしいが、なかなかどうして、広大なアメリカの大地の映像と、全編を彩る心地よいカントリー・ミュージックに心が解放されるような感覚を味わった。
 
 かつて名声を博したが今は落ちぶれ、酒に溺れるジェフ・ブリッジス演ずるカントリー・シンガー(バッド・ブレイク)が、巡業先でインタビューをした女性記者ジーン(マギー・ギレンホール)と恋に落ち、その恋に破れながらも、人間として、ミュージシャンとして再生していくというお話。
 
 この映画は誰かの伝記ではなくフィクションであるが、まるで実在するシンガーの実話のようにも見える。旅から旅への興行、酒とタバコに溺れる毎日、破たんを繰り返してきた家庭生活、ヒット曲を作れない苦悩、・・・etc.ミュージシャンにいかにもありそうなエピソードが織り込まれている。日本でいうなら、故・高田渡を思い浮かべてニヤリとするシーンもある。こんな虚構の物語を本当っぽく見せているのは、ひとえにジェフ・ブリッジスの、演技と思わせないほどの演技なんだろうと思う。ミュージシャンの道も選択肢にあったという彼の音楽的センスも大いに発揮されていて、ライブやコンサートのシーンがもっと観たかったというのが本音である。

 ストーリーはありきたりといえばありきたりで、深みに欠けるといえばそうかもしれないが、音楽好きの人なら結構ハマってしまう映画かもしれない。

2010年7月6日
TOHOシネマズ川崎

「告白」 [CINEMA]

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 映画の冒頭約30分、教師・森口悠子役の松たか子の告白が延々と続く。終業式の日。
「私は今月いっぱいで教員を退職します。」「わたしが辞職を決意したのは愛美の死が原因です。しかし、もしも愛美の死が本当に事故であれば、悲しみを紛らわすためにも、そして、自分の犯した罪を悔い改めるためにも、教員を続けていたと思います。ではなぜ辞職するのか?」「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです。」
 
 湊かなえ原作の小説は、2009年本屋大賞第1位を獲得し、文庫本もベストセラーになっている。この作品を「下妻物語」「嫌われ松子の一生」で監督としての地位を不動のものにした中島哲也が、自ら脚本を書き独特のタッチで映像化、一級品のエンターテインメント・ミステリーに仕上げた。
 確かに小説同様面白い。関係者が代わる代わる「告白」していく小説の構成を、ほぼ忠実に映画の中にも再現し、まさにページをめくる手が止められない、といった面白さである。この物語の全体を覆う重苦しさや不気味な感じが、文字だけの世界に、凝った映像と効果的な音楽が加えられることによって一層助長されている。この話は犯人探しでもなく謎解きでもない。娘を殺された女教師の復讐劇であり、その復讐劇は負の連鎖を生み出していく。
 
 この物語には僕にとって心を寄せたいと思える人物が登場してこない。他人への思いやり、人を信頼する心、このような感情に浸れない物語を観終わったとき、一気に読んだものの後味があまりよくなかった小説の読後感と同じような感覚を味わった。

2010年6月14日
TOHOシネマズららぽーと横浜


「息もできない」 [CINEMA]

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 マイミクのAさんの日記に触発されて渋谷のライズエックスで観た。全編の半分以上が暴力シーンという印象を受けるくらいの衝撃的な映像に、まさに「息もできない」。親を殴る、仲間を殴る、借金を返さない客を容赦なく打ちのめす。相手に対して投げつける「シーバルロマ(クソ野郎)」の連呼。
 主演を務めるヤン・イクチュンが自ら脚本を書き監督をしている。彼自身の個人的な経験や感情を映画の中に吐きだしたものだというが、韓国の歴史的背景や、家族制度のひずみなどが投影されているのは間違いない。ベトナム戦争に派兵された過去をもつ父親が精神を病んでいたり、家庭内暴力が日常茶飯に行われていたことなどが描かれている。リアルな暴力シーンに、殴られる側の痛みを感じるのは当然のことながら、殴る側の「哀しみ」のようなものが伝わってくるのは、このような背景に思いを馳せるからだろうか。暴力が暴力を呼ぶ、まさに暴力の連鎖を断ち切るのは、月並みだが「愛」と「希望」なんだろう。救いようがないとの思いに囚われた映画も、終わりの方で一筋の光明が見えてくるのだが・・
 心地よい感動に浸れる映画では決してない。けれどこの映画は、ブラジル・リオデジャネイロの貧民街を描いた「シティ・オブ・ゴッド」(2002年)のように、心の片隅にトゲみたいに刺さって残り続けることだろう。

2010年6月1日
渋谷ライズ・エックス


「春との旅」 [CINEMA]

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 小林政広監督がシナリオの第一稿を書いてから8年越しで実現したという映画。何回も書き直され、年を重ねて熟成された脚本と、すばらしい演技陣によって、地味なテーマながら”今”を描く名作が生まれた。

 孫娘と2人暮らしをしていた元漁師の老人・忠男(仲代達矢)が、19歳の孫娘の春(徳永えり)の失業を機に、兄弟のもとに身を寄せて面倒をみてもらおうと突然家を出る。止めようとする春との2人旅の行く先々で待っていたものは・・・
 小津安二郎の名作「東京物語」を彷彿させる展開のこの映画は、今どきめずらしいほどの正攻法の映画。撮影はシナリオにそって順撮りで行われ、過去の回想シーンなどいっさい使われない。何故2人暮らしだったのか、春の両親はどうしたのか、などすべて会話の中で語られる。観ているこちらも2人と一緒に旅をするうちに、忠男と春の感情の動きに共感を覚え、2人の愛おしさに途中から涙がじんわりとあふれてくる。
 これは”老い”を扱った映画でもあり、”家族”を扱った映画でもあり、”成長”の物語でもあるとも思った。

 仲代達矢の演技は、忠男のキャラクターを十分すぎるほど表現していたし、徳永えりもすばらしく印象に残る演技だった。脇を固めた俳優陣もすごい。大滝秀治、菅井きん、小林薫、田中裕子、淡島千景、柄本明、美保純、戸田菜穂、香川照之。
 映画を盛り上げる抒情的な音楽をつくったのは佐久間順平。「林ヒロシ」という名でかつて(今でも?)フォークシンガーであった小林政広監督のつながりとはいえ、映画音楽まで手がけているなんて知らなかったのでエンドクレジットに名前が出た時はびっくりした。

 2010年5月30日
 横浜ブルク13(桜木町・コレットマーレ)
 *日本語字幕付き
 


「てぃだかんかん~海とサンゴとちいさな奇跡」 [CINEMA]

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 沖縄の海を再生しようと、サンゴの養殖と産卵に挑む男とその家族を描いた感動の物語。実話をもとにした映画で、夢に向かってまっしぐらに突き進む健司の役を岡村隆史が真面目に好演。その夢を支える妻の役を松雪泰子が演じている。
 夫婦愛、家族愛が存分に描かれていて、ちょうど今NHKで放送中の朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を思い浮かべていた。他にも、沖縄の美しい海を描いているという点では、「うみ・そら・さんごのいいつたえ」(椎名誠監督。1991年作品)を、自分の信念を貫き通し一つのことをやり遂げるという点では、名古屋から金沢までのバス路線沿いに2000本の桜を植えた男を描いた「さくら」(神山征二郎監督、1994年作品)を連想していた。
 サンゴの産卵のシーンは、この映画のクライマックスシーン、幻想的で素晴らしい映像だ。観終わった直後は、CG合成かなとも思うくらいだったが、調べてみたら、ほぼ1ヵ月にわたってカメラが追い続けて撮影に成功したものと知った。どんな言葉を尽くすよりも、この映像が、美しい海を自然を守り続ける大切さを訴えている。

2010年5月13日
TOHOシネマズららぽーと横浜


「おとうと」 [CINEMA]

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山田洋次監督「母べえ」に続く新作「おとうと」は、「学校Ⅳ」以来10年ぶりの現代劇だそうである。
ふだんは若いカップルや小さな子供を連れた家族が多い、ららぽーと横浜にあるシネコンには、年配の方が多く(自分たちもその一人?)、テレビでさんざん宣伝しているからとはいえ、さすが山田洋次監督、と思わずにいられない。

「家族の絆」がこの作品の、というよりも山田洋次の作品すべてに共通するテーマであり、笑いをふんだんにちりばめながら、人間の優しさを謳いあげる作風は相変わらずである。すべての登場人物が愛おしい。
予告編などでは、笑福亭鶴瓶が演じる破天荒な弟が結婚式を台無しする場面から、「寅さん」シリーズを連想し、渥美清が鶴瓶に、倍賞千恵子が吉永小百合に置き換わって、今後シリーズ化される話なのかな、と思いながら観ていたら、後半は意外な展開になっていった。
姉にさんざん迷惑をかけ、見放されて消息不明になってしまった弟が、行き倒れてかつぎこまれた先が、映画では「みどりのいえ」という身寄りのない人を受け入れる民間の「ホスピス」であった。この「ホスピス」は東京・山谷に実在する「きぼうのいえ」をモデルに描かれているのだそうだ。赤字に苦しみながらもボランティアに支えられて運営されているこんな施設があることをはじめて知った。
ここで最期を迎えざるを得ない、社会に取り残された人々と、献身的に働くスタッフの姿が、映画を観終わったあとの気持ちに重いものを残す。

2010年2月7日
TOHOシネマズららぽーと横浜

 

「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」 [CINEMA]

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2009年10月に2週間限定で公開され大好評を博した結果、年末にはアンコール上映もスタート、そのおかげで今日ようやく観ることができた。
何しろ観た人がこぞって「素晴らしかった」、「感動した」と言うので、これは観なければと思っていた。マイケル・ジャクソンにはそれほどの思い入れがあったわけではなかったけれど、この映画を観たら、彼の突然の死が本当に惜しい、という気持ちになる。
この映画は2009年7月から2010年3月までに予定していた50公演のためのリハーサル映像を中心に構成されている。ショーを観に来る観客を非日常の世界に誘うために、完璧なステージをつくりあげることをめざして妥協を許さない彼の姿勢に感服する。だからといってワンマンに進めていくわけでもなく、いたって謙虚。そんな彼と一緒にステージをつくりあげるミュージシャン、ダンサー、スタッフが「ファミリー」としてひとつになる。同じステージにあがれることを人生最高の喜びとするダンサーたちの言葉が実感できる。こうして作り上げられたステージ、一度でいいから観てみたかった。

2010年1月11日
TOHOシネマズららぽーと横浜


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