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マザーハウスColette・Mareみなとみらい店(May.05,2010) [Diary]

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  横浜・桜木町のマザーハウスColette・Mareみなとみらい店に、あの山口絵理子さんが来られるというので、大桟橋近くの「象の鼻防波堤」から桜木町の「コレット・マーレ」まで夏のような日差しの中、海の中道を歩いて行きました。

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 バングラデシュでバッグを生産する「マザーハウス」を起業した山口絵理子さんの奮闘ぶりは、彼女の著書「裸でも生きる」、「裸でも生きる2」に詳しく書かれていますが、その本に感銘を受けて以来、都内のお店にも何度か訪問、製品のユーザーにもなっていますが、山口さんにお会いするのは初めてでした。

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 実際に会ってお話ししてみると、華奢な体のどこにあれだけのエネルギーが秘められているんだろう、と思うくらいの方で、ひっきりなしに訪れるお客様への対応や取材のかたわら、明るくにこやかに接していただきました。

 もし興味を持たれた方、ぜひこの2冊を読んでみてください。

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マザーハウスのHP
http://www.mother-house.jp/


富士山 [Diary]

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あけましておめでとうございます

横浜の元旦の朝、真っ青な空です。
私の住む団地の坂道を少し上るとくっきりときれいな富士山が見えました。

今年は自分にとって大きな変化の年になります。
来年のお正月もこうして穏やかな朝を迎えられるといいなあ。

皆様にとって2010年がよい年になりますように


10年ぶりの山小屋 [Diary]

90年代はまとまった休みのたびに、八ヶ岳の東に位置する信州・八千穂村(今回訪れたら町村合併で「佐久穂町」に変わっていた)に通っていた。当時、無農薬野菜をつくる生産者と、それを定期的に購入する消費者のグループで、みんなで集まれる場所を作ろうということになり、生産者の所有する山林の一部を借りて、山小屋作りを開始したのは92年ごろの話。樹木を伐採し皮をはいで土台の柱にし、100年も建っていた旧農家の建替えで出た廃材や建具を再利用、屋根は防水シートの上に土を盛り草を生やして草屋根に、トイレもコンポストトイレにするなど、エコロジカルな山小屋を設計し、つくりはじめたのである。
僕はどんべえに尻をたたかれながらワークキャンプに参加するようになっていったのであるが、素人同然の人たちが試行錯誤しながらも、力をあわせて作業に励み、その結果建物がだんだんできあがっていく過程は楽しいものであった。
上棟式は94年の8月、一応の完成をみたのが1999年の8月であった。山小屋の天井の梁に渡してある板に、年月とともに自分の名前がしっかり記されているのを今回確認して当時の記憶も蘇ってきた。しかし、2000年10月以降は、仕事の都合で山小屋どころではなくなってしまい、気にはなっていたものの一度も行くことはなかったのである。

10年も行ってなかったので、もう朽ち果てているんじゃないか、なんて心のどこかに不安も抱きながら、中央自動車道を須玉で下り、141号線を一路北へ。清里を抜け野辺山を通り小海線を左右にしながら途中で299号線に折れて5分ぐらい、車を降りて歩きなれた坂道を登っていった先にあった!堂々と建っていた。

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入り口には鍵がかかっていて、外から眺めるだけでもいいかと思っていたら、10年前一緒に作業をしていたSさんが車で坂道を登ってきた。10年ぶりの再会である。彼は登山のため一昨夜、昨夜とここに泊まっていたとのこと。鍵を開けてもらい中に入りしばし歓談。この10年の間にも、山小屋は少しずつ進化を遂げているらしい。ストーブも設置されたし、洗面台も付いていた(水は近くでもらってこなければならないけど)。今は故障中というが、ソーラー電力で電灯も点けることができるのだそうだ。10年前作業を手伝っていた仲間の子供たちも成人して時々泊まりにくるようになっていることなど、話は尽きなかったが、次の目的地に向かうSさんと再会を約して別れた。

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 入口



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 草屋根


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 薪ストーブ


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山小屋オープン記念のプレート 



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90年代ここに通っていた頃は、ギターは手にしていなかった期間なので、車に積んで持ってくることもなかった。今回初めてギターを積んできたのだった。

♪わたしがうたう うたではない
  あなたがうたう うたでもない
 わが山々が私のうた
  わが大地が私のうた♪


「ありふれた奇跡」 [Diary]

あの名作「ふぞろいの林檎たち」の脚本家、山田太一が11年ぶりに連続ドラマの脚本を書いた「ありふれた奇跡」が先日最終回を迎えた。テレビの連続ドラマを見なくなって久しいが、このドラマに限っては、毎週木曜日午後10時からの放映のほとんどの回を、飲みの誘いも断って早く帰り、リアルタイムで見ていた。全11回、さすがに最後のほうは仕事で帰れなくて録画しておいたが。

先週木曜日の最終回は、人間讃歌にあふれた感動的な最終回だった。さすが山田太一!
この物語、加瀬亮演じる翔太と、仲間由紀恵が演ずる加奈を中心に展開していくが、2人が出会った経緯からして単なる恋愛ものとは異なる。見ず知らずの男が、駅のホームから電車に飛び込もうとしたところを察知して止めたのが2人が偶然に知り合うきっかけになった。なぜ、自殺を察知したのかというところは、それぞれの過去が深く関係している。山田太一の言葉を借りれば、「マイナスを背負って生きている」2人ということになる。物語はこの2人を中心に、自殺を図った男(陣内孝則)や、お互いの家族を描きながら展開していく。この家族もまた、それぞれマイナスや秘密を抱えている。登場する家族は単なる脇役でなく、ひとりひとりの人生もドラマの中で描かれている。
とりわけ存在感があったのは、翔太の祖父役の井川比佐志である。戦災孤児から一代で築きあげた左官屋としての生き様と、左官屋をつがなかった息子(風間杜夫)、左官職人をめざす孫の翔太とのからみが特に印象に残る。最終回での翔太と祖父のやりとり。用心に用心を重ねて生きてきて、他人を信じない祖父が、「人を信じられなくてどうするんだ」と孫に諭される。引きこもりだった孫の成長に驚き、その成長は愛する人がいるからこそなんだという確信が、反対していた結婚を認める。

山田太一のメッセージ:
「タイトルに“奇跡”とありますが、マイナスがプラスになるという奇跡は起こりません。いくら連続ドラマといっても年代記ではないし、3ヶ月間で描く時間経過は1年くらいがやっと。そんな短時間で人間が背負っているものを全部解決するなんて不可能だし、それでは調子よすぎると思うんです。だから、小さな希望を見出す終わり方にしたい。マイナスを背負ったまま幸福になる方向に1歩を踏み出すという結末にしたいと思っています。」

ラストシーン、陣内孝則が河川敷の公園のベンチで加奈たちに写真を撮ってもらうシーン。第10話で翔太と加奈に赤ちゃんを預けて逃げた若い母親と一緒に。彼は叫ぶ「俺ひとりじゃないよ!」。
このドラマの冒頭も同じ場所、家族を失った陣内が、幸せそうな家族連れや元気に遊ぶ子どもたちを見ながら、ひとりベンチにたたずむシーン。ここから始まったドラマには、いくつもの「ありふれた奇跡」が描かれ、最後は心に希望を持たせる見事なラストシーンが用意されていた。


真実のフラガール [Diary]

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スパリゾートハワイアンズ(旧・常磐ハワイアンセンター)に行ってきました。2年前、映画『フラガール』を観て以来一度行きたいとは思っていましたが、休日は予約で一杯だとかで行きそびれていました。

※映画の感想はコチラ↓
http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2006-10-02

今週、誕生日にあわせてとった一週間のアニバーサリー休暇。特にやること決めずに休暇に入ったのですが、思いついて電話したところ、宿も横浜からの無料送迎バスもすんなり取れて、17日(水)から1泊。温泉にゆっくりつかり、プールで遊び、ショーを楽しみ、2日間とことん堪能しました。
中でも、ビーチシアターで昼夜2回行われているダンスショーはすばらしかった。バスで着いて昼食をとり、すぐに始まった「トロピカル・フラショー」、夜の「グランド・ポリネシアンショー」、いずれもダンシングチームが繰り広げる華麗な踊りと、火を操る男の力強い踊りに思わず見入ってしまいました。

ショーの模様はコチラのフォトアルバムをご覧ください。
http://pht.so-net.ne.jp/photo/inuwan/albums/139472

昔は、「常磐ハワイアンセンター」と聞けば、お年寄りの慰安旅行を思い浮かべ、そんなにいいイメージを抱いていなかったのですが、映画を観てからはイメージが一変。廃坑となる炭鉱跡に「常夏のハワイ」をつくりだすなんて発想そのもの自体に驚嘆させられますが、実際にそれをやりとげてしまうパワーにさらに驚きを覚えます。昭和41年の開業以来延べ5000万人以上の人が訪れているという背景には、ショーを演ずるダンサー達のプロの仕事に感動することはもちろんのこと、宿泊施設や、飲食店、売店にいたるまで、心のこもったおもてなしを感じられるからではないのかな、なんて短い滞在でしたが思ったりしました。

スパリゾートハワイアンズのHPはコチラ↓
http://www.hawaiians.co.jp/


同窓会@横浜ローズホテル(Sep.20,2008) [Diary]

中学校の同窓会が2年ぶりに開かれた。
4年前、卒業以来34年ぶりに開かれてから4回目になるが、前々回の同窓会では幹事長なるものまでやってしまった。
http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2005-10-26

さすがに4回目ともなると「常連」も増えてきて、いつも会っているかのような挨拶になる。
でも卒業以来はじめて顔をあわす仲間や恩師もいたり、3年間にクラスが一緒にならなかった仲間とは、はじめて言葉を交わすなんてことも。みんなそれぞれ、いい歳のとりかたをしている。孫の話が増えてきたのは4年の経過のせいか。

前回会えたのに今回来れなかった友達とは、次の同窓会(たぶん2年後)まで会えないのかと思うと少しさびしいような気もするが、また会ったときは、「よっ、久しぶり」と挨拶してなつかしい話に花が咲くんだろうな。
横浜中華街にあるホテルから地元に戻り、2次会・3次会と続き日付が変わっても飲んで歌っていた連中も、さすがにくたびれて、でもいい気持ちでそれぞれの家路についた。

blog01IMG_4701.jpg会のお開きは校歌斉唱

卒業した中学校は、横浜から相鉄線で12~3分、西谷駅下車、小高い丘の上にある学校である。「ダ・カーポ」の『15秒の風景』という唄の中に出てくる。
相鉄のWEBサイトの中の「相鉄style」にタウンライターとして以前コラムをいくつか書いたが、最初に書いたコラムを紹介します。

http://sotetsu.net/nishiya/archives/000222.html


akasaka Sacas [Diary]

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3年半前はこんなだった場所が(TBSがはっきり見えていた)

 

 

 

 

                                   

 


                                         
2006年5月7日_2.JPG2年前にはここまで進み・・・

 

 

 

 

 

 



 

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 1年前にはTBSが見えなくなっていました。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


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そして今日「春分の日」(2008年3月20日)グランドオープン。
強い雨風の、最悪の天候でしたが、これから赤坂を「咲かす」ことはできるでしょうか。
 

 

 




 [Diary]

 

♪ 2月の街に雪は降る
  橋のキズにも 川の泡にも 
  後ろ姿の 小さな肩にも
  雪は降る 雪は降る 
  とめどなく とめどなく 雪は降る ♪

近所に坂道が多いので、これだけの雪でも車が出せず、孤島化してしまいます。
今日は茅ヶ崎MARRYのFOLK DAYで『雪』を唄うつもりだったけれど・・・


半吉 [Diary]

毎年お正月の2日に初詣に行く岐阜県の谷汲山華厳寺で引いた今年のおみくじです。「半吉」なんて初めて見たぞ。小吉や末吉なら知っていいたけど、というわけでネットで調べてみたおみくじの順番。
大吉→中吉→小吉→吉→半吉→末吉→末小吉→凶→小凶→半凶→末凶→大凶
ちゃんとあるんだ。
一昨年のおみくじが「大吉」、昨年は「小吉」。自分の運勢は下降線?今日帰りに大垣から名古屋まで乗った電車の網棚にお土産の紙袋を忘れて、名古屋の「忘れ物承り所」に駆け込んで届けておいたら、無事に見つかって自宅に送ってくださるそうで一安心。おみくじには「失物出がたし」とあったので半分あきらめていたのですが・・・。
新年早々のドタバタでしたが、今年もなんとか、がんばっていきまっしょい!


今年最初の一枚は、帰りの新幹線、新富士付近から写した富士山です。


北の国から その3 [Diary]

5日目(8月9日)
8月8日と9日は洗面所・トイレ共同の民宿のような国民宿舎に連泊。でも料理も美味しく、温泉も気持ちよかった。設備などでは大きなホテルに劣るけれど、他のお客さんと情報交換もできたりしてとてもよかったです。
 

この日は摩周湖・阿寒湖方面をドライブ。
やはり♪霧に抱かれて静かに眠る~ 摩周湖でした。


阿寒湖では遊覧船に乗らず、アイヌコタンの村でアイヌの民族舞踊を観ました。 
 

アイヌ独特の食べ物もお店で食べてみました。
左)ラタスケップ(カボチャ・トウキビ・いなきびに独特の香辛料シケレベを入れたもの。カレーではありません)
右)ポッチェイモ(ジャガイモを発酵させて作ったアイヌの保存食)
 

6日目(8月10日)
いよいよ最終日。
夕方には釧路から羽田に向けて飛び立ちます。

朝、宿を出てから川湯温泉郷にある「あし湯」に浸かり

硫黄山を見てから


釧路へ車を飛ばし、釧路湿原展望台へ


昼飯は釧路駅近く「和商市場」で勝手丼。
ウニやカニやイカなど、市場のお店で好きなもの選び、ごはんに乗せてくれるというもの。(2人分で4200円也)


最後に丹頂鶴自然公園を見て釧路空港へ。


飛行機は定刻19時10分に羽田に到着。
でも、旅はこれで終わらず・・・・・
重い荷物引きずり、原宿へ向かったのでした。



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