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100回記念!ナターシャ・ナイト@原宿こんとん館 (Aug.12,2011) [Music]

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 2003年2月3日に第1回が行われた「ナターシャナイト」が昨日第100回目を迎えました。記念の回ということで、開始時のメンバーの一人であるはやさんがこんなバッジを作ってくれました。

 この日の趣向として、参加者は番号のクジをひき、107SONG BOOKの番号と同じ曲を演奏するという、とてもユニークな試みが行われました。何度も聞いて知っていても、唄ってみると難しかったり、ふだんは別の人が持ち歌にしている曲を異なる人が唄うのでまた違った味が出たり、今まで一度も唄われていなかった唄が当たったりして、とても面白く楽しいイベントになりました。
 昨日唄われた曲をメモしておきましたので掲載します(演奏順)。タイトルの前の番号が107SONG BOOKにある番号、☆は、クジで当たった曲を演奏できない場合ナターシャがらみの曲でもOKということで演奏された曲です。(107SONG BOOKから、何と40曲も唄われました!)

 79 街 
 82 涙色の星
 57 おじいさんの古時計 
 ☆ 再会
  5 別れの恋唄その1 
 ☆ 夏の雲
 15 青い海のお墓 
 65 坂下の子守唄
 49 ギャンブリン・マン 
101 ほっちょせ節
  1 私を待つ人がいる 
 90 このぶたかいもの
 78 旅  
 81 たづるさん
 21 オールド・ジョー・クラーク 
  3 柳の木の下に
 37 夜明けを待ちながら 
 38 あの娘のひざまくら
 41 ホーム・スイート・ホームという歌をつくったのは独身の男性だったにちがいないという歌  
 43 海に向って
 99 ねずみの歌 
 61 おいで一緒に
 53 よそ者のブルース
 59 ランブリン・ボーイ
 31 9ポンドのハンマー
 75 明日になればね 
 ☆ ソルジャーズ・ジョイ
 46 船のり歌
 77 春を待つ少女 
 ☆ 母のお墓 
 ☆ 松原第七中学校 
 27 天国の岸辺
 14 海の嵐 
102 兄妹心中
 97 いじけたおとこ
 35 45号列車
  8 高い山に登って
 12 森かげの花 
 44 れー子ちゃん
 ☆ 心の旅
 20 陽のあたる道
 32 デキシー・ブレイク・ダウン
  9 ひとり旅
 66 私の子供達へ
 25 十字架に帰ろう
107 ヘイヘイヘイ

 

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この日唯一きちんと唄えた曲は「61: おいで一緒に(山と川)」久しぶりに参加することができた末弟子さんと一緒に唄うことができて感激。
                           
            
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毎月第2金曜日場所を提供してくれているこんとん館のママさんにも記念品を贈呈。
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選んだ番号札にはポイントが付いていて3曲合計の最高ポイントの人に贈られた記念品。彦にゃんさんがゲットしました。(まさみさんの写真より借用)
100回目のナターシャナイト、おおいに盛り上がりました。楽しかったです。はやさん、ありがとうございました。
(一番上の写真のバッジに1ヵ所誤りがあるのですがそれもご愛敬ということで^^;)

「ハツカネズミと人間」 [Play]

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 この数日間に舞台と映画で、ジョン・スタインベック(「怒りの葡萄」、「エデンの東」の作者)原作の「二十日鼠(ハツカネズミ)と人間」を観た。
 タイトルだけは以前から知っていたが内容はまったく知らず、お芝居を観に行ったのは、ギタリストの堀尾和孝さんとJUNさんが出演するからだった。映画は、そのお芝居を観て感動して1992年に映画化された作品をDVDを借りて観た。
 
「1930年代、 大恐慌時代のカリフォルニア州。いつか自分達の農場を持つという夢をもつ出稼ぎ労働者、ジョージとレニーはいつもともに行動している。しかし、精神遅滞(発達障害)のレニーがいつも問題を起こすため、数々の農場を渡り歩くはめになる。そんな二人がたどり着いた新たな働き口で、二人は働き者で賢いスリム、ボスの息子のカーリー、名も無きカーリーの妻、下品で無神経なカールソン、多額の貯金を持つ片手が無く孤独な老人キャンディ、黒人であるが為に賢くとも馬小屋に住まわされているクルックス等に出会い、生活をともにしてゆく。
 ジョージはいつもレニーに彼の夢を語っていた。そしてある日、キャンディの、右手を失った際の資産によって、ジョージとレニーの夢が現実味を増す。しかし夢の実現を前に、2人に悲劇が訪れる…。この時代の貧しい労働者たちの境遇とレニーの無邪気さが物語の中心に据えられている。」(物語のあらすじ・・・Wikipediaより引用)

 お芝居と映画、原作を一にしているのだからストーリーは当然ほぼ一緒。ただ、舞台の第2幕のパーティーの場面は、舞台用に加えたのだと思われる。酒場のような場所で酒を飲んで盛り上がる若者たち、男女間での卑猥な会話や、喧嘩なども生まれる群像シーン。堀尾さんとJUNさんの出番はこのシーンだけなのだが、堀尾さんはにこにこしながらギターを弾きまくるジェームスというモテ男、JUNさんはジェームスに寄り添うケイトを演じている。ライブでもよく弾く曲などをバックミュージックのように生音で弾き、シーンの最後では役者さんが堀尾さんの伴奏で「Amazing Grace」を唄いあげる。堀尾さんもJUNさんもセリフは一言ずつしかなかったが、2人の存在感はこの芝居を観に来た人に印象に残ったと思われる。またこの芝居全編にわたって堀尾さんの奏でるアコースティックギターの曲が効果的に使われていた。

 お芝居は、限られた狭い空間で大きな装置も使わず、セリフのやりとりで情景を伝え心理描写も行うという点では、映画に比べて演ずる俳優の演技力に左右されるところが大きいと思うが、ジョージ(今野哲治)とレニー(畠垣洋司)を演じた2人共素晴らしく、映画で主役をはったゲイリー・シニーズ(ジョニー役)、ジョン・マルコヴィッチ(レニー役)と比べても遜色ないくらいはまり役だった。最後の悲劇的結末も、この2人の熱演あればこそ際立っていたのだと思う。また、同じ農場で働く労働者たちも一人ひとりが個性的に描かれており、年老いたキャンディや、黒人のクルックスなどは、映画での描かれ方より一層の存在感を示していたし、彼らの放つセリフの一言一言に重みがあった。(キャンディを演じていたのは、脚本・演出も担当した石山雄大さん、調べてみたらすごいキャリアを積んだ方だったんですね)

 お芝居のほうは、新宿SPACE107で8月3日から8月7日まで全7公演を終了。きっと堀尾さんとJUNさんは他の役者さんたちと打ち上げで美味しいお酒をたくさん飲んだことでしょう。ジェームスの取り合いになっていなければいいのですが・・・


やぎたこライブ@茅ヶ崎BOTCHY BOTCHY (Jul.22,2011) [Music]

 「やぎたこ」を初めて知ったのはちょうど1年前、伊豆の天城ドームで行われた「Folk Song Festival 伊豆」に出演したときです。高石ともやや六文銭、加川良、遠藤賢司など錚々たるメンバーが出演したフェスティバル、蒸し風呂のようなドーム内での熱い長時間のコンサートの中で、お2人のデュエットが清涼剤のようでとても印象に残っています。
(その時のブログ⇒http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2010-07-26
 その後鶴間の「菩南座」でのライブに2回ほど足を運び、やぎたこワールドのファンになっていましたが、茅ヶ崎BOTCHY BOTCHY での初ライブが実現したので期待をもって行ってきました。トラディショナルなフォークソングを、ギター、マンドリン、フィドル、バンジョー、オートハープ、アコーディオンを駆使しながら、きれいなハーモニーで聴かせる2人の演奏には、このライブスペースがとても合っているような気がしました。20時半過ぎに始まったライブ、休みなしで2時間弱、たっぷりとやぎたこワールドを堪能してきました。

やぎたこ in BOTCHY をお楽しみください。

茅ヶ崎在住のオートハーピスト クマさんを加えて


最後の宵々山コンサート@円山公園音楽堂 (Jul.10,2011) [Music]

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 京都の夏の風物詩といえば祇園祭、というのは誰もが思い浮かべる行事であるが、僕にとっては大学に入学する前年の1973年にはじまった「宵々山コンサート」こそが暑い夏を象徴するイベントだった。その「宵々山コンサート」がついに第30回をもって「これにて締め!」となった。途中中断の年も含めると足掛け38年の歴史に幕が下ろされた。パンフレットにある出演者の名前から記憶をたどってみると、僕がこのコンサートに足を運んだのは30回のうちの半分15回にわたる。大学に入った翌年からは6年連続、会社に勤めだしてからは飛び飛びに、そして2004年の第24回からは毎回参加したことになる。

 今回の最後の宵々山コンサート、円山公園野外音楽堂が人人人で埋めつくされた。初期のコンサートはまさにこんな感じで、いい席をとるために一週間も前から並ぶ人がいたというくらいだ。最近の数回は後部のほうに空席がめだっていただけに、こんなに人がいっぱいの音楽堂を眺めてなんだかとても嬉しかった。閉店に追い込まれたデパートが閉店前の数日間お客が詰めかけ、いつもこんなにお客さんが入っていたら閉店しなくても・・・と思うことがよくあるが、この「宵々山」の終わりは、コンサートをつくりあげてきた出演者・運営スタッフの高齢化、健康上の理由によるものが大きいから、2年前の「中締め」でいったん閉めたお店をファンの声でもう一度開けさせたようなものだった。でも最後にふさわしく7月2日の京都駅前広場でのオープニングコンサートを皮切りに、京都各地で一週間にわたるプログラムが組まれ、「ありがとう円山公園」としてこの日のコンサートにつながる、華々しい終わり方だった。

 中川五郎をトップバッターに始まったコンサートは、高石ともや、道上洋三、国本武春、なぎら健壱、笠木透などが次々登場し盛り上がる中、後半にいくつものサプライズが用意されていた。
 まずは出演者の中に名前がなかった北山修。「自切俳人とヒューマンズー」として第5回から5年連続出演したあの頃のハチャメチャなステージが僕にとっては宵々山のシンボルだった。『あの素晴らしい愛をもう一度』を、加藤和彦が嫌いだったという仰々しい終わり方で大合唱したあとに、ともやさんが一人で唄いだし、少し間をおいて登場したのが城田じゅんじ。このサプライズに会場はどよめき、割れんばかりの拍手で彼を迎えた。『フォギーマウンテン・ブレイクダウン』を弾き終わったとき音楽堂が揺れたように思えた。マンドリンで金海たかひろが加わり、『私を待つ人がいる』が演奏されたとき、このコンサートが始まった73年に出演した最初のナターシャ・セブンが、最後の「宵々山」で一瞬とはいえ復活を遂げることなど誰が想像できただろう。
 八坂神社のおけら火をもらいに行ったのは有森裕子、火入れ式のバックでアカペラを披露したのが中島啓江、ろうそくの火が会場を埋めてフィナーレ、出演者紹介。最後のサプライズが桂米朝師匠の登場だった。

 

楽しいときはいつでも 過ぎてゆくもの
やさしい時代が遠ざかる もう泣かないで

 今、この唄をしみじみと感じている。ありがとう円山音楽堂、ありがとう永六輔さん、ありがとう高石ともやさん。そして、ありがとう仲間たち。・・・・ また新たな始まりです!

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ボランティアバス_山田4便 (Jun.30-Jul.03,2011) [Diary]

 過去2回は夜行日帰りの「弾丸ツアー」に参加したボランティア。神奈川災害ボランティアネットワーク主催としては初めての泊まりがけのボラバスで岩手県山田町に行ってきました。

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 山田町(やまだまち)は、宮古市と釜石市の間にある町で、人口1万8千人、7月5日現在、死者585人、安否不明128人、25箇所の避難所に1929人が避難中。住宅のうち46%にあたる2789棟が全壊。
 山田町災害ボランティアセンターの置かれているB&G海洋センターは船越家族旅行村のそばにあり、われわれが宿泊場所としていた体育館から少し上がったところにあるオートキャンプ場には個人のボランティアが長期に滞在し、毎日の作業に加わっています。作業終了後の温水シャワーもこのキャンプ場で利用させていただきました。今回の地震津波さえなければ、まさに風光明媚なリゾート地として何日でも滞在したくなるような美しい所です。しかし、ボランティアセンターのすぐ下にあった老人保健施設「シーサイドかろ」では施設全体が津波にのみ込まれ、利用者74人と職員14人が死亡・行方不明となったそうです。いまだに建物の2階部分に流された車が残されたままの無残な姿に胸が痛みます。
岩手日報のWebNews⇒http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/saiko/saiko110608.html

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老人保健施設シーサイドかろの遠景。右上に屋根だけ見えるのがボランティアセンター。
 ボランティアの作業は正味2日間、杉林の中のガレキ撤去を行いました。内海と外海にはさまれる半島の付け根にあたる地域ですが、津波にのみ込まれた家屋が両側から流されて溜まったのだそうです。重機で撤去できなかった細かいガラスや陶器の破片や生活物資などが散乱していました。また遺体捜索のために自衛隊の掘った穴の痕跡がいたるところに残っていました。暑さとの闘いになることを覚悟していましたが、2日間ともオホーツク海気団から吹くやませ(山背)という冷気のおかげで、午前・午後2時間ずつの作業も、それほど体力を消耗せずに行うことができたのはラッキーでした。
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作業中

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作業終了後の杉林

 
 杉林の地主さんからは2日間とも缶コーヒーの差し入れがあり、終了後にはお礼のあいさつをいただきました。さらに自分は口下手だからと丁重な文章での御礼状まで託されました。夜のミーティングでリーダーに朗読していただきましたが、これこそが最高の報酬です。
 ボランティア参加前に受ける研修の中に、ボランティアの心構えとして、見返りを求めない・・「無償性・無給性」・・という原則がありますが、これだけの大きな感動とよろこびを得られる体験はしたくてもなかなかできないと思います。そして被災地への「思い」と「志」をもった参加者ひとりひとりが、主体的に行動し、創造性を発揮しながら連帯を深めていく過程も大きな魅力のひとつです。20歳の学生から最高齢68歳までの自発的に集まった男女36名が、ひとつのチームとして機能する、そこには「長幼の序」などを口走る輩はひとりもおらず、ただひたすらに被災地のことを思う心だけがあるのです。

 神奈川災害ボランティアネットワークの「宮城・岩手 被災地支援ボランティアバス」参加者募集についてはこちらをご覧ください。
 http://ksvn.jp/category/news/volunteer_comeon


ふるきゃら横浜公演@横浜にぎわい座 (Jun.27-28,2011) [Musical]

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  20年以上にわたって応援してきたミュージカル劇団の「ふるさときゃらばん」が昨年2月に自己破産してしまったことはとても残念な出来事でしたが、メンバーの有志が集まって昨年7月に新たにスタートした「新生ふるきゃら」が横浜の下町、野毛の「横浜にぎわい座」で2日間にわたって「トランクロードのかぐや姫」を上演しました。
 
  観客兼お手伝いで両日とも観覧しましたが、ふだんは落語をやる「小屋」だけに、舞台と客席の距離が近く、役者さんの息遣いまで伝わってくるような演技に、満席となった客席は大いに湧いていました。舞台に登場する人数が13名で、昔のふるきゃらに比べたらこじんまりしたミュージカルとはいえ、フィナーレで横一列に並ぶと舞台いっぱいになり、全員の力のこもった合唱は大迫力、そして鳴り止まない大きな拍手が客席の感動を表していました。
 
 横浜にぎわい座、新生ふるきゃらにとってぴったりの劇場、という感じがしたのは私だけでしょうか。しかも横浜の下町・野毛にあり、桜木町駅からも徒歩5分以内の交通の便のよさ。終了後に立ち寄ることのできるお店はいくらでもあるし、ぜひ常設小屋にしてほしいなんて思っていたら、来月27日、28日にも、今度は親子で楽しめるミュージカルを上演するというチラシが入っていました。「瓶ケ森の河童(かめがもりのしばてん)」というミュージカルです。「新生ふるきゃら」そして「横浜にぎわい座」にご興味のある方はぜひ!

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まれか+じゅんじ Duo Live @下北沢ラ・カーニャ (Jun.19,2011) [Music]

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 下北沢ラ・カーニャでは2月以来の2人のライブは今回も満席。まれかさんが心配していた雨も降らず、日曜日の午後のひととき、ますます磨きのかかった、2人の息のあった演奏に至福の時を過ごしました。演奏についてはあらためていうまでもありません、今回はまれかさんのMCが以前にくらべて長足の進歩を遂げていることにびっくり。ステージ上でも自信に満ちているように思えました。

 今回は、4月からまれかさんの通う大学の同じ学部に入学したばかりの娘さんとお母さんをライブに誘い一緒に楽しみましたが、休憩時間にまれかさんに紹介したら、いきなり2人で学生トークになっていました。4年生になったまれかさん、学業との両立大変だと思いますがぜひ頑張ってもらいたいと思います。
 


ナターシャ・ナイト@原宿こんとん館 (Jun.10,2011) [Music]

 毎月第2金曜日原宿のこんとん館で開催されている「ナターシャ・ナイト」は、2003年2月14日に、こんとん館に集まるブルーグラス愛好者の中の隠れ(笑)ナターシャ・セブンファンによる集いが開催されて以来、ほぼ毎月開催されているとして来月あたりが第100回にあたるそうです。というのは、草創期のメンバーの一人であるはやさんから伺った話。ホストバンドの「ブリッジエイト」が出られなくなったころは、集まるメンバーも減ってしまうのではないかと思われましたが、最近では毎回のように初参加の人がいて、今さらのようにすそ野が広がっている気もします。今回の初参加は「大魔王とお妃さま」。同じナターシャでも”ナターシャ・グジー”(ウクライナ出身の歌手)もレパートリーにしている『いつも何度でも』などで息のあったハーモニーを披露、ナターシャ・ナイトに新しい風を吹き込んでくれました。

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 僕がこんとん館に足を運ぶようになったのは、2005年ごろからでしょうか。当時の常連、親子バンド「グリーングラス」で活躍していたうめさんも最近はこんとん館からは遠ざかっておられましたが、今回久しぶりに参加されて奥様と唄うナターシャ(セブン)ナンバーにサトーさんのバンジョー、はやさんのマンドリンが加わってたちまちナターシャ編成に。これこそがナターシャ・ナイトの楽しさですね。

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 どんべえとその七味は、『海に向かって』『力を合わせて』『太陽をとれ』『外山節』『雨あがる』

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 この日集まったナターシャな人たち
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ボランティアバス_岩手便 (Jun.03-05,2011) [Diary]

 5月の宮城県東松島市行きボランティアに続き、車中2泊の岩手県行き「弾丸ツアー」に参加してきました。前回のボランティアから帰ってまもなく神奈川災害ボランティアネットワークから、東松島市行きのバスの追加募集に加えて岩手行き2便の募集があったので応募したものです。
 
 今回はスタッフ含めて35名の参加(男性20名、女性15名)、前回同様ボランティアバス初参加という方がほとんどでした。6月3日金曜日の午後9時に横浜天理ビル前を出発したバスは、翌朝6時半ごろに現地のボランティア拠点になっている「遠野まごころネット」のある遠野市総合福祉センターに到着。(遠野まごごろネットのHP⇒http://tonomagokoro.net/

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 かながわ隊は陸前高田市での作業が割り当てられました。遠野市から陸前高田までさらに1時間以上かけて移動。のどかな田園風景を少し行くと風景は一変、メディアで散々目にしていた風景が目に飛び込んできました。震災・津波が起こってからほぼ3か月経過した今、瓦礫などは大分集められ整理されているようですが、目の前に広がる「荒野」を実際に見たときの気持ちは言葉に表せません。ただ唖然とするばかりでした。テレビの映像や報道写真はやはり切り取られた「現実」でしかないのだと思います。それでも、バスの窓越しに夢中でシャッターを切る自分がいました。この現実を少しでも記憶にとどめておきたい、そんな想いで。
 
 撮った写真をデジブックにまとめておきます。(クリックすると別ウィンドウが開きます)

 この日割り当てられたのは、津波に流され田んぼに散乱する木材や板きれ、衣類、日用品のかけらなどをかき集め一箇所に集積する作業(集められた瓦礫はのちに重機で撤去されるとのこと)。現地リーダーのもと、汗だく泥だらけになりながら悪戦苦闘の結果、田んぼ3枚分終了。復興・復旧の道のりからすれば取るに足らない作業かもしれませんが、こうした小さな作業の積み重ねがなければ復興もありえない。そしてそこには多くの人の力が必要とされている(今回も男全員がかりででようやく動かせる柱などがありました)。被災地のいたるところでこのような地道な作業をしている人がいることに常に思いを寄せながら、これからも自分にできる限りのことを継続して行っていきたいと思います。

 前回のボランティアバス宮城便はその日のうちに横浜に戻らなければならなかったので、作業終了後はあわただしく出発しなければならなかったのですが、岩手便は距離も遠いことから、翌朝の始発電車が出る時間までに戻ればいいということで、時間に余裕もあり、帰り道東北自動車道入口付近の日帰り温泉施設で汗を流すことができ、心身共にリフレッシュして帰路につきました。

今回のボランティアバスの速報はこちら
http://ksvn.jp/blog/vol-bus4479.html

ボランティアバス_宮城便 (May.20-21,2011) [Diary]

 「神奈川災害ボランティアネットワーク」の、夜行日帰り被災地支援ボランティア活動に参加し、宮城県東松島市に行ってきました。夜行日帰りの文字通り、夜の7時半に横浜をバスで出発し、翌日現地でボランティア活動、午後の3時半には現地を出発、午後10時過ぎに横浜に帰着の強行軍。現地での作業は休憩除くと実質4時間ぐらいしかできませんでしたが、それでも行っただけの成果はあったと思います。
 
 参加したボランティア37名は、大学生から60代まで幅広い年齢層で、女性も半数近く占めていました。現地に着いたら雨で、一時は待機、そのまま作業なしで戻るはめになることも心配されましたが、運よく晴れて暑くなりました。4班に分かれて作業箇所を分担、私の加わった班では、3月11日の津波で建物は流されなかったものの、海の水に浸かってしまいそのまま2ヶ月間手つかずで残されていた駐車場や倉庫から泥を掻きだす作業を行いました。スコップで泥をすくい土のう袋に入れる作業、これが日ごろの運動不足の身にはつらい。すぐに汗だくになるし、腰は悲鳴をあげるしで、適宜役割を分担しながら作業を進めていきました。特に倉庫にたまった泥はドロドロのヘドロで、大人数での人海戦術がなかったらとても掻きだせなかったでしょう。一人ひとりの力は小さいかもしれないけれど、みんなの力を合わせれば不可能も可能になるんだということを今さらのように実感し、感動しました。
 
 東松島市では、1033人が死亡、約320人が行方不明、約2430人が避難生活、住宅約4740棟全壊(5月21日現在、警察庁まとめ)という地域で、今回行った場所は仙石線陸前赤井駅(現在不通)の近く、テレビでよく見たような一面ががれきの山という風景ではありませんが、いたるところに地震と津波の爪あとが見られました。住居は残っていても、泥が掻きだせないままになっているところがまだたくさんあるようです。昨日だけでも、滋賀県、岐阜県からの大型バスを含め、たくさんのボランティアが現地に入って活動を行っていました。

 「神奈川災害ボランティアネットワーク」(⇒http://ksvn.jp/)では5月から6月にかけて8回に分けてボランティアバスを運行、すでに募集は締切られていますが、その後もさまざまな形での支援活動を行っていくとのことです。機会をみてまた参加したいと思います。
 なお今回のボランティアの模様は上のサイトに速報として掲載されています。
 http://ksvn.jp/news3326.html


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ヘドロを掻きだした倉庫 

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安達太良SA(福島県本宮市)にて


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